2011年06月12日

九州王朝説 (井上)

古代史の世界は大変ロマンにあふれていて、私のような全くの門外漢でさえ興味が尽きないところがあります。

何年か前に歴紀好きのある弁護士先生のお話をおうかがいする機会があって、「九州王朝説」というものがあることを知りました。

学校の教科書でしか日本の歴史を勉強したことがない方は全くご存知ないと思うのですが、九州王朝説とは、古田武彦さんという方が1970年代に提唱された破天荒な仮説です。

権威ある日本史学界ではほとんど無視されているらしいのですが、アマチュアの古代史ファンには今なお根強い支持があり、10年くらい前までテレビのバラエティ番組の司会で活躍されていた上岡龍太郎さんは古田武彦さんの著書の熱烈なファンだったことで知られています。

私にはこの仮説の詳細な紹介をする能力はありませんが、大まかにいいますと、通説的な見解では少なくとも7世紀以後は古代天皇を中心とする大和朝廷が日本全国を統一していて中国大陸にたびたび使者を遣わしていたとするのに対し、九州王朝説によると、日本には大和朝廷以前から大勢力であった九州王朝(都は福岡の大宰府付近にあったとされています)というものが存在し、大和朝廷はあくまで一地方の小国に過ぎず、九州王朝が衰退するまでは日本を代表していたのは大和朝廷ではなく、九州王朝の方であったというのです。

中国の歴史書に登場する「倭の五王」は5人の天皇を指すのではなく九州王朝の歴代の5人の支配者のことなのであり、中国の「隋」王朝に使者を送ったのは「聖徳太子」ではなく九州王朝の支配者で、また、朝鮮半島の「白村江の戦い」で「唐・新羅」の連合軍に対し「百済」とともに戦って敗れるのは九州王朝の方であるというのです。

この仮説の真偽はともかくとして、まさにコペルニクスの地動説くらいのインパクトがあり、ロマンをかきたててくれるのです。

posted by kuraben at 19:06| 井上弁護士